読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

曇り空の朝には。

総合音楽家の日記です。

秋元康的なやり方が蔓延するとどうなるか。

“評論”

 

本内容は秋元康氏自体を腐すものではないと言っておきます。

まずそもそもAKBとかは興味なし!

 

ただ、90年代でいえば『オーマイコンブ』とか

りりかSOS(少女マンガ、アニメだけど)

などの秋元康作品に子供時代触れているわけで。

そしてなによりとんねるずを見て来たわけだから。

 

なので個人的には否定することはできないんですよね。

それじゃ本題。

 

 

秋元康的なやり方とは何か?

 先にあげた作品はまさに秋元康的な方法論で作られている。

つまり、それは

 

そのとき流行っているものを分析し、

解体し、再構成するというもの。

 

 

オーマイコンブはグルメ漫画からだし、

りりかは魔法少女モノから、

とんねるずのガラガラヘビはポンキッキーズからなわけです。

 

パクリだ!という人もいるでしょうが、

ただこれはものすごく経済的で利口なやり方なんですよ。

 

一からまともなコンテンツを作ろうとすると

ものすごく大変だし、リスキーなわけです。

大概のものは失敗するわけで。

 

 

ならば今何が流行ってるかを分析して、いいところを

摘んでいけば、まぁ大失敗ということはないよねってなるわけで。

(この手法にもそれ相応の技術、努力は必要でしょうけど)

ビジネスとしてはまぁ正しいですよね。

 

 

ただ、じゃあこういうやり方ばかりになるとどうなるか?

というか広まった結果、いまどうなっているのか?

という話になるわけで。

 

 

成功するかもわからないことを一生懸命やるのはアホだ。

真面目なヤツほどバカを見る。どうせ使い捨てだ。

という状況、風潮になっていますよね?

 

 

そうなると、純度の高いコンテンツ(一次創作物)は生まれづらくなって

結果、秋元康的なやり方をするための元ネタすら

なくなり、総倒れ。ということになるんじゃないかと。

まさにジレンマですよね。

 

みんな合理的にやっていきたいけども

合理的過ぎてもやっていけない

社会、文化は成り立たないっていう。

 

 

なんで皆さん、バカになろうよ。

楽しいよ、きっと。

 

文: ミウラ義幸 

 

 

 

こんなことやってますという話。

“音楽” “活動”

 

総音楽家ってなんやねん。って話ですが自分が勝手にそういっているだけで

そして本人もよくわかってない、という状況。

そのうち説明するかもですが。

 

そんで今日ですが、一本の動画をアップしたわけで。

映像は手習いのUnityで作ってみた。

こういうカヴァーは世界中探してもないんじゃないかな?

超大物バンドのカバー。

 


[ The Rolling Stones ] Under My Thumb ( new World Ver.)

 

 

11年ぶりの新作アルバムということでそれに

乗っからさせていただきやす。

 

今後の活動の指針になればいいかなーぐらいの感じで

試作品って感じですが、音楽自体はいいのでぜひ。

 

 

 

 

何も起きない、ということへの想い。PPAPについて [改訂版]

“評論”

正しい意味でナンセンス。

これについて語るのも今更なのかもしれない話題について。

PPAPです。これについて考えてみたので書くよ。

 

意味がわからない、何が面白いのかわからないと言う方々へ。

それで正しいし、理解できなかったとしても何も間違っていない。

なぜなら正しい意味でナンセンスギャグだから。

“意味がない”のだから、わからないのは当然でございます。

 

情報が溢れた現代においては明確に意味がない、というのは尊いことのようにすら思う。

宮台真司がこれは『社会学的な分析ができない』というような事を言ったらしいけど、果たしてそうだろうか?

きちんとした学者様、教授様にたてつく気はないが、論理的に分析できる気がするんでしてみた。

 

 

人はなぜ笑う?

何が面白いかなぜ面白いのか?という点で一つ考えてみる。

笑いの1つの原則に『緊張と緩和』、というものがある。

人は緊張感を感じた後に安心を感じると笑う、というものだ。

まあ例えば、ドッキリで大変なことが起きたかもしれない、という状況で実はドッキリでしたよーって言われる笑う、とか重苦しい中で何か変なことをしてしまい、思わず皆んな笑ってしまう、とかだ 。いないいないばぁとかもまさにそうだと思う。

これは人間の持つ根源的な性質。

 

じゃあそれがPPAPに何か関係あんのかと。

PPAPというのは結局は最初から最後まで何の意味を持たないし発さない。

そして何も起こらない。

右手に持ったパイナップルに突き刺したペンと左手に持った、ペンに刺したリンゴを合わせた時に、全部そのまま連なる、ただくっつくっていう事象がタダそこにある。

そういう意味で何も起きてないのです。考えなくても当然ですが。

 

しかし考えてみてごらんなさい。

本当に何も起こらない、という事は確定的なことなのだろうか?

今の時代、全く何が起きるのか想像もつかないし、PPAP自体が流行ることも誰も想像しなかったことだったと思う。トランプも大統領になったしね。

 

そう考えればもしかしたら右手に持ったモノと左手に持ったモノを合わせる時、何か起きてしまうかもしれないし、下手をしたら爆発するのかもしれない。皆、心の中で恐れているに違いない。

 

しかしやはり、それを合わせたところで何も起きない。

もったいぶった怪しげなアジアのオッさんが、意味ありげにダンサンブルなコミックソングを歌うけど結局何も起こらない。

そこに人は安心を感じるのではなかろうか。

平穏な日常というのは、何も(おかしなことが)起こらないことなのだから。

人々はそれ望み、何も起こらないとわかると安心するのだ。

そこに『緊張と緩和』理論が働くのではないか?

 

 

平和への想い

またパイナップルアップルというものは種が違うけども、近しい部分もあるという関係であり、それはまさしく人類における人種のようなものだともいえる。

グローバル社会においては、人種間における良くも悪くも文化的衝突が予想されるわけで、

PPAPで発せられているメッセージが仮にあるとすれば、そういう状況においても何も起きてくれるな!!というものではないだろうか?

つまりはPPAPとは、平和への願いであるのだ。

何も起きず、日常がただ流れていく平穏こそが人々の望むものなのだ。

 

 

わりとアリかもしれない。

あくまでこれは自分の意見だけど、2017年になってみて

改めてPPAPという事象は何かしらのきちんとした意味があるものだったと強く思う。

 

 

じゃあまた。

 

文 : ミウラ義幸 

 

 

カオスな時代へようこそ。あと『はてなブログ』について。

“日記”

なんかいろいろと最近むちゃくちゃですよね。

トランプが大統領になるし(ただ個人的にはヒラリーも微妙ですけどね)

日々何かしら象徴的な事件が起きている気がする。

 

あと音楽界で言えば、今年に入って多くの時代を作った人たちが亡くなられて、プリンスは早すぎたけど、まあ多くの人の年齢考えれば、自然の摂理といえるかもですが。

 

まぁいろいろ節目なんだろうなー。

 

ネットも完全にマスコミュ二ケーションになったし、技術、社会の変化でまた人の意識も代わりつつあるし、ここ数年でいろんなパワーバランスが変わる気がする。

戦争とかは起こってほしくないけど。

自分としてはそのドサクサにまぎれていい感じになりたいと虎視眈々と狙ってるわけで、大縄跳びの前でタイミング計ってる状態。

 

とりあえず完全にネットと現実が融和しつつある、そういう状態に進んでる。

自由意志を持つほぼすべての人間がネットへのアクセス手段を持ち、常時ネットに繋がれてると・・・。

 

そらカオスにもなるわ!!

 

そんな今のネットを取り巻く社会の状況の一端を表してるのが『はてな』なのかと。

とにかく人は多いっすよね。

だからはてなブログ始めたんですけど。

miur-us.amebaownd.com

これは自分のサイトですけど自分のサイトはサイトとして、何か人が居る場所に出てこないとなって。 日の光がある方に引き寄せられたって感じですけど(虫か)

 

とりあえず今求められてるものは権威主義的ではない権威な気がする。

やっぱ船頭多くして・・・ってやつですよ。カリスマではなくて地に足の着いたリーダーですよ、求められているのは。

 

あるいは自治の意識というか。

国に取り締まる口実与えちゃダメですからね。

ネット保安委員会とかいうわけわからん法人作られますから。

 

とまあ『はてな』の話に戻るけど、

ほんとに意識に高い人と意識高い系のせめぎ合いだったり、意識低いフリした意識大会人とか、単にアフィりたい人とか。様々な人たちであふれかえっていて、玉石混合というかまぁ社会そのものなわけで。いろんな人がいるなぁって。そんな中で自分はどのポジションに身を置くの?ってことですよ。

 

そんな場所の片隅でひっそりとブログを書くのが性にあうぜよ。 

そんじゃ。

 

 文 : ミウラ義幸

はじまりまして。

いろいろと準備が整いつつありまして、はてなでブログッちゃおっかなぁーと。

 

よろしゅうお願いします。

 

文 : ミウラ義幸