曇り空の朝には。

総合音楽家の日記です。

何も起きない、ということへの想い。PPAPについて [改訂版]

正しい意味でナンセンス。

これについて語るのも今更なのかもしれない話題について。

PPAPです。これについて考えてみたので書くよ。

 

意味がわからない、何が面白いのかわからないと言う方々へ。

それで正しいし、理解できなかったとしても何も間違っていない。

なぜなら正しい意味でナンセンスギャグだから。

“意味がない”のだから、わからないのは当然でございます。

 

情報が溢れた現代においては明確に意味がない、というのは尊いことのようにすら思う。

宮台真司がこれは『社会学的な分析ができない』というような事を言ったらしいけど、果たしてそうだろうか?

きちんとした学者様、教授様にたてつく気はないが、論理的に分析できる気がするんでしてみた。

 

 

人はなぜ笑う?

何が面白いかなぜ面白いのか?という点で一つ考えてみる。

笑いの1つの原則に『緊張と緩和』、というものがある。

人は緊張感を感じた後に安心を感じると笑う、というものだ。

まあ例えば、ドッキリで大変なことが起きたかもしれない、という状況で実はドッキリでしたよーって言われる笑う、とか重苦しい中で何か変なことをしてしまい、思わず皆んな笑ってしまう、とかだ 。いないいないばぁとかもまさにそうだと思う。

これは人間の持つ根源的な性質。

 

じゃあそれがPPAPに何か関係あんのかと。

PPAPというのは結局は最初から最後まで何の意味を持たないし発さない。

そして何も起こらない。

右手に持ったパイナップルに突き刺したペンと左手に持った、ペンに刺したリンゴを合わせた時に、全部そのまま連なる、ただくっつくっていう事象がタダそこにある。

そういう意味で何も起きてないのです。考えなくても当然ですが。

 

しかし考えてみてごらんなさい。

本当に何も起こらない、という事は確定的なことなのだろうか?

今の時代、全く何が起きるのか想像もつかないし、PPAP自体が流行ることも誰も想像しなかったことだったと思う。トランプも大統領になったしね。

 

そう考えればもしかしたら右手に持ったモノと左手に持ったモノを合わせる時、何か起きてしまうかもしれないし、下手をしたら爆発するのかもしれない。皆、心の中で恐れているに違いない。

 

しかしやはり、それを合わせたところで何も起きない。

もったいぶった怪しげなアジアのオッさんが、意味ありげにダンサンブルなコミックソングを歌うけど結局何も起こらない。

そこに人は安心を感じるのではなかろうか。

平穏な日常というのは、何も(おかしなことが)起こらないことなのだから。

人々はそれ望み、何も起こらないとわかると安心するのだ。

そこに『緊張と緩和』理論が働くのではないか?

 

 

平和への想い

またパイナップルアップルというものは種が違うけども、近しい部分もあるという関係であり、それはまさしく人類における人種のようなものだともいえる。

グローバル社会においては、人種間における良くも悪くも文化的衝突が予想されるわけで、

PPAPで発せられているメッセージが仮にあるとすれば、そういう状況においても何も起きてくれるな!!というものではないだろうか?

つまりはPPAPとは、平和への願いであるのだ。

何も起きず、日常がただ流れていく平穏こそが人々の望むものなのだ。

 

 

わりとアリかもしれない。

あくまでこれは自分の意見だけど、2017年になってみて

改めてPPAPという事象は何かしらのきちんとした意味があるものだったと強く思う。

 

 

じゃあまた。

 

文 : ミウラ義幸